『試験国民の誕生』韓国人はどうして試験に執着するか?



「人生は、試験の連続」という言葉がある。人は皆人生の中で、数多くの試験を受ける。上級学校に進学したり、就職するには試験は避けられない。高麗時代初期に科挙制度が導入されて以来、韓国では試験は人生を左右する最も重要な要素になった。「浪人は必須」という言葉が生まれ、「上級公務員試験浪人」が社会問題化されたのも決して偶然ではない。

『試験国民の誕生』は、韓国人がどうして試験に執着するのかを問う。そして、その試験が能力主義のイデオロギーと結合して社会や組織構成員をどのように序列化させ、その中で試験を受ける機械に転落していく個々人の自画像を暴く。この本は試験万能主義に対する痛烈な反省だ。

韓国はどの国よりも「試験過剰」に苦しんでいると著者は診断する。これによる弊害も深刻だ。試験勉強が学校教育を代替し、社会エリートの象徴となった「上級公務員試験」出身者の特権を当然視してきた。一度試験に合格すれば、一生権力を享受できる。試験万能主義の弊害だ。

「大学修学能力試験」の成績は生涯のくびきとして付きまとう。「修能試験」の点数は学閥と交換され、学閥は就職と賃金に絶対的な影響を与える。2011年基準の高卒初任給が100なら、短期大卒は116、大卒は164だ。だから猫も杓子も「修能試験」にすべてをかける。

著者は「試験と関係なく、どんな仕事をしても社会的格差を減らせば、試験に囚われずにもっと自由な社会になれる」と言う。

韓国社会でエリートとなる経路は二つある。一つは学歴であり、もう一つが「上級公務員試験」だ。一流の学歴に「上級公務員試験」まで合格すれば、国家権力の最高の座に就くことはさほど難しくない。いわゆる「試験エリート」である。現在、国家情報院を除いた中央省庁の1級以上公務員256人中191人(74.6%)が「上級公務員試験」出身だ。

多数の国民は試験を通じて成功した人が多くのことを独占することは能力による正当な配分であり、公正だと思っている。しかし、著者は「試験の公正性を担保することも容易ではなく、試験は社会の公正性を担保しない」と強調する。試験点数で人間を序列化し、それによってすべてを付与する方式に対抗しなければならないという。

そして、「多くの権力を持った者であるほど、成果主義を掲げながら、いざ本人は評価の無風地帯で権力を楽しむ」と甲(人より優越な状態や立場)の二重性を皮肉っている。

「試験がない社会を夢見よう。試験なしにも皆が自らを省察して共に提案・討論し、変革する社会を論じよう」。著者が言いたいことは、この二つの文章で含蓄できる。 イ・フンウ論説委員兼先任記者

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